瀬木監督が描きたい“いずれの森”は、どんなところで、“青き海”は、いったいどんな“青”なのだろうか?
映画のタイトルを聞いたときから、ずっと気になっていた。
おそらく、“いずれの森か青き海”というタイトルにひかれて、映画を見ようと思った人は皆そう感じることだろう。
ストーリーは、日本のほぼ中心にある、地方工業都市に住む多感な16歳の少女の
揺れ動く日常に起るエピソードを軸に展開していく。
そこには、環境問題、高齢化社会、住民アイデンティティの欠如などの地方都市を取り巻く諸問題も投影されている。
しかし、実際に映画を観るとわかるのだが、この映画は、単純な社会問題提起型の映画ではない。
もっと普遍的なテーマが底に流れている。それを、象徴するのが“いずれの森”や、“青き海”なのだ。
聞くところによると、この映画のロケ地(三重県四日市市)は、瀬木監督の故郷なのだそうだ。
実は、瀬木監督は全てが中途半端だった中学・高校時代を過ごした故郷が、ずっと好きになれなかったという。
監督にとってもこの映画は、自分の故郷への思いに決着をつけるという個人的な意味合いもあったらしい。
では、そんな監督が描きたい“いずれの森”や“青き海”とは一体どのようなものなのか?
それは、地方都市で思春期を過ごした経験がある人なら、誰しも抱いたであろう、
“自分自身への苛立ちとシンクロする故郷への複雑な思い”とでもいったらいいのだろうか…。
いや、監督自身の背景を考えると、自身の思春期の苛立ちを、故郷への苛立ちにすり替えて、
故郷を捨ててしまった半端な人間が、やがて大人になって辿り着く
“居場所【レーゾンデートル=存在意義(仏)】”といったほうがより正確かも知れない。
そして、さらにいえば、それは瀬木監督自身の居場所なのかもしれない。
では、そんな“居場所”(レ−ゾンデ−トル)には、どんな“森”や“青き海”があるのだろう?
この映画の主演は、三重県全体に渡る大規模なオーデションで選ばれた、
センシティブな内面を有しながらも透明な存在感を感じさせる新人女優、西村美紅。
脇を固めるのは、「ウルトラマンガイア」「仮面ライダー龍騎」でブレイクし、
今年主演映画が続く気鋭の若手俳優、高野八誠。
また、北野武監督の「hana-bi」での存在感のある演技が記憶に新しい渡辺哲を中心として、
早坂好恵、小宮孝泰、内山信二などのジャンルを超えた芸達者達がキャスティングされている。
“いずれの森か青き海”。
瀬木監督は、彼らと一緒に“いずれの森”や、“青き海”をどんな“青”で描いているのだろうか?
どうか楽しみにして観て欲しい。
それは、もしかしたら“ちょっと傷い青”で彩られているかも知れないが…。
井上 匡 (コピーライター・e-idea collaborations 代表)